こんにちは。

せめて9月中に1回はブログの更新を…と思っていたのに、

気がつけば9月30日になってしまいました。

 

気合をいれたトピックスは今回お休みして、

よく聞かれる(もしくは聞いてみたいけど聞きにくいであろう)質問について

お答えしてみようと思います。

 

泌尿器科医として

私は2002年春に東京医科歯科大学を卒業しました。

当時は今のように色々な科をまわって研修するシステムがなかったので、

自分の大学の泌尿器科に直接入局しました。

 

どうして、泌尿器科医なの?と当時は会う人会う人に聞かれました。

確かに、泌尿器科の女性医師は当時数えるほどしか医局にもおられなかったので

皆さん不思議に思われたのでしょう。

 

ただ私自身はあまり悩むことなく泌尿器科医になることを決心したように思います。

 

医師になるなら「がん」を診る科にいこうというのは決めていました。

そして、外科系にいこうとも決めていたので、

自ずと消化器外科や泌尿器科などが選択肢にあがりました。

 

内科と外科の連携も今となっては非常に大事だとわかったのですが、

当時は最初の診断から治療、そして最後まで患者さんを診れる科が良いと思っていましたので、

泌尿器科医は私の希望にぴったりでした。

 

泌尿器科は、前立腺がん・腎臓がん・膀胱がんといったがん治療、

尿失禁や腎盂腎炎、尿管結石症といった良性・感染症疾患、

神経因性膀胱などの神経疾患、

要は外科系の病気、内科系の病気とも全て泌尿器科医が診る(泌尿器科医しか診ない)のです。

 

また、学生時代に泌尿器科で研修した際に、

思ったより多くの女性の患者さんがいらっしゃったのが驚きでした。

ですので、自分が泌尿器科医になったら少しは女性患者さんに喜んでもらえるのかな、という気持ちもありました。

 

医師になってからは、特に研修医時代はその日のうちには帰れず、帰ったらすぐベルで呼ばれるような日もありましたが、

先輩や仲間にも恵まれ本当に充実した楽しい日々でした。

 

しかしながら、泌尿器科医の6年間に3回、手術室で気を失いかけることがありました。

朝礼のときに倒れるのと同じ病態です(迷走神経反射、といいます。)

きついストッキングを履いたり、手術の前の日はできるだけ睡眠をとったり、

手術中はトイレにいけませんが可能な範囲で水分を朝とったりしたのですが、予防はできませんでした。

予感があるので術野を離れて10分ほど横になって休めば復活するのですが、

これは私にとってとてもショックな事でした。

 

結論から言うと、自分のこれまでの人生で迷走神経反射で倒れたのはこの3回だけなのですが、

(みんな心配してくれていたけど)「これだから女医さんは…」とか思われてるのかな、とか、

自分で制御できない上に、他の方に迷惑をかける病気をもっていることが非常につらかったです。

当時はまだレジデントでしたので、私が術野を降りても手術自体に支障は全くなかったのですが、

10年後、20年後に自分がトップで手術をする際にこのような事が起こってはならないと思い、手術室を離れる決意をしました。

 

手術をおこなう緊張、マスク(場合によっては2重マスク)と術衣、裸の患者さんに室温は合わされるので基本的に暑い、立ちっぱなし、こういった事が重なって発症するようです。

内科医になってからもまた起こるのではないかと心配していましたが、どんなに忙しくても手術室の過酷さとは違う種類のようです。

体力のない医師だと思われては困ると思い、永らく他の医師には泌尿器科医を辞めた直接の理由は言えませんでしたが、

最近ようやく自分の中でも消化ができてこうやってブログにまで!書くことができるようになりました。

 

消化器内科医として再出発

さて、これから医師としてどうしようか。

当時、私はストレートで泌尿器科に入局していたので、

もう少し患者さんの全身で起こっていることを把握できたら良いのになとは常日頃より思っていました。

そこで、全身が診れる、一番一般的な内科としての側面があり、

また、胃カメラや大腸カメラなどを使った内科医がする手術があった消化器内科を選んだのです。

残念ながら手術室は去る事になりましたが、何らかのがんの手術はし続けたいと思ったからです。

 

今となっては、泌尿器科・消化器内科両方で研鑽を積んだ事は

私の医師としての患者さんの診かたや病態の捉え方に非常にプラスに働いております。

内視鏡経験件数等、医師紹介も御覧ください。

 

気合をいれたトピックスは今回お休みしたはずが、

違う気合が入ったトピックスになりました。

担当医の顔もマスクでよくわからない時代ですが、

私がどのような人間なのかご参考になれば幸いです。